劉邦 前247〜前195
漢の創建者である。農民の子として生まれるが、全く家業を手伝
う向きもなく、遊侠の徒と交遊し、放浪の旅に出た。やがて、帰郷す
ると、治安担当の役人になり、造営工事などで、囚人の監視にあた
る。しかし、逃亡者が多く、自らもその責任から逃れるために、囚人
とともに逃亡し、彼らと盗賊になる。始皇帝の死とともに、あちこち で乱がおき、劉邦も司法長官を殺め、挙兵し、項羽の軍に加わった。
秦の滅亡により、劉邦は項羽と対立し、先に秦都を落としたもの
が、王の座につくという約束であった。そして、いち早く秦都を落と
したのが、劉邦であった。圧倒的な大軍を率いる項羽は遅れをとっ
たことに激怒し、たまらず、劉邦も謝罪の面会(鴻門の会)をしたが、
項羽は約束を破り、劉邦を漢中に封じこめた。ここから楚漢戦争が
始まった。一方的に劣勢であった劉邦は家臣たちの策略により、
項羽の背後をつき、項羽は四面楚歌により自害した。
劉邦の魅力の一つはその英雄然とした風格にあった。秦への挙 兵、建国の際にしても、任侠的信頼関係がものを言った。しかし、
この私的信頼は、郡国制(封建体制)により公的権力に変わると腐
敗・亡国へと繋がっていくものであった。
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