空海 774〜835
幼名、真魚(まお)という。讃岐に生まれ、都に上り大学に入る。当
時の大学は、貴族や豪族の息子を役人として育てるための学校で
あった。主に、儒学を中心に教えられていた。しかし、空海は仏教
の崇高さに惹かれ、大学をやめ修行の旅に出た。平安仏教を代表 する人物は最澄と空海である。奇しくもこの二人、804年、最澄は桓
武天皇に仕える高名な僧として、一方、空海は修行の途中である無
名な僧として入唐したのである。
空海の聡明さは卓越したものがあり、たった3ヶ月で中国語をマス
ターしたと言われている。長安の都で恵果アジャリから密教の真言 を伝授され、僅か2年で帰国した。教典や曼陀羅を手に帰国すると、
まもなく、嵯峨天皇に重用され、高野山に金剛峰寺を建立する。
しかし、空海は山に籠もるでもなく、都に入り浸るでもなく、常に大
衆と共にあった。一般子弟のために学問所を開いたり、満濃池など
の土木工事に力を注いだ。空海は修験道との親交もあり、真言密
教には自然への帰属性が認められる。そのためか、趣理経には人 間の怒りや欲望もすべて認めていくという深遠さをもっている。また、
両界曼陀羅もその証しである。
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