菅原道真 845〜903
学者の家系に生まれる。漢文や詩など十分な教育を受ける。こ
の頃、平安前期は藤原全盛期の準備段階の時期である。藤原北
家が幅をきかせていた。
宇多天皇は天皇に実権をとりかえそうと、政治の中心に道真を
起用した。894年、唐の内乱などを理由に、遣唐使を廃止したの
は道真であった。宇多天皇のもとに左大臣として藤原時平、なら
びに、右大臣として菅原道真が任命された。しかし、時平の画策
により、道真は九州の太宰府に左遷させられた。藤原氏の他氏 排斥の生贄となる。不遇のまま、道真は死去(903年)。
903年、道真の左遷を画策した時平も、時を同じくして死んだの
で人々は道真の怨霊であると恐れた。道真の死後、平将門の乱
が起きたり、藤原一族支配を呪う者たちの代表に菅原道真がな
っていった。
そして、道真の霊を祀る神社を京都北野に建立した。これが後
の北野天満宮であり、道真は学者であったので、学問の神様とし
て祀られるようになった。
      
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