宮本武蔵 1583〜1645
当時17歳、武蔵が歴史上に現れたのは関が原の戦いであった。 西軍の一兵卒にすぎなかった。本能寺の変がおこった頃に、新免
無二斎という十手使いの子として生まれた。3才にして試合をし、大
の男を投げ飛ばしたという逸話がある。
関が原の戦いの後、傍若無人の若者は姫路城に軟禁され、学問 を身に付けた。20歳なった武蔵は武者修行の旅に出た。京都にお
いて奇しくも父からの因縁のある名門、吉岡一門との果し合いとなっ
た。所は一乗寺下がり松、大将は吉岡源次郎である。子供であった。
武蔵は一刀の元に討ち果たした。決闘とはいえ、これが世間を騒が
せた。嘯いた武蔵の心に影を落とす。旅の道連れに会った童子を育
て、畑を耕し、村をつくり、野武士と闘った。この体験が武蔵を大きく
した。命の輝きが武蔵の心の闇を照らし出したのである。
「小次郎、敗れたり」。巌流島の決闘である。腕は互角、只、天地 の理法を知る武蔵と苛立つ小次郎とでは勝負が見えていた。闘後、
倒れた小次郎の命を奪わなかった武蔵の姿が今も心に残っている。
|