ピカソ 1881〜1973
スペイン南部のアンダルシアの港町に生まれる。家族の転居と
共に小さな美術学校にいくつか通う。ピカソ16歳の時、出品作の金
賞を機に、サンフェルナンド王立アカデミーに入学する。19歳になる
とアトリエを構え、個展を開く。その後、青の時代に入ってゆく。190 7年、「アヴィニョンの娘たち」の完成前後から、バラの時代に入り、 キュビズムへと飛躍することになる。
天才的写実の腕前をもちながら、それでは飽きたらず、いつしか
青の時代に入り込んでいたピカソが、転機を迎える。それはルノワ
ールの一枚の絵画であった。それがキュビズムの萌芽がであり、
アヴィニョンの娘たちを描かせることになった。一般には古代エジ
プト絵画の影響を受けたと言われている。
1936年スペイン内戦が始まり、人民側の招きにより、プラド美術
館長になる。パリ万国博のために「ゲルニカ」を制作する(1937年)。 ランプに写し出された地獄の様(戦争)をまざまざと見せつける作
品である。名実共に世界の絵画の巨匠となる。数多くの女性を愛
したピカソの晩年へのテーマは「鳩」であった。
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