カエサル 前100〜前44
共和政末期のローマの武将である。数々の武功を上げ、クレオ
パトラと出会い、ローマに凱旋する。前44年、最高軍司令官の称
号を得る。共和派から暗殺される(ブルータスお前もか!)。
ガリア戦記。カエサルは実質上、共和政ではない三頭政治(3分
統治…クラッスス・ポンペイウス・カエサル)の下、ガリアに赴任す
る(前58年)。ケルト人・ゲルマン人を押さえ、ドーバー海峡も渡る。
遠征から7年目、ウェルキンゲトリクス率いる部族連合8万余りが、
逆襲してきたが、ローマ軍(カエサル)が打ち破った。
賽は投げられた。クラッススが没した後、ポンペイウスは元老院
と結び、カエサルに対して、非難決議を出した。ルビコン川渡河は 違法である。しかし、渡河した。この時、運命に身を任せるように、
「…」と言い放った。やがて、ファルサロスで勝利する。そして、エジ プトに追撃する。
ローマ帝国が滅んだのは構造改革の失敗と異民族侵入(ゲル マン民族の大移動)である。日本も膨大な借金で本当に構造改革
が…、賽は投げられている。
|