上杉謙信 1530〜1578
幼名、虎千代という。越後の春日山城でうまれる。兄は晴景とい
い、次男坊の謙信は城主になれず、林泉寺という禅寺に預けられ る。この寺での厳しい修行が、後の謙信をつくりあげる。
謙信は戦国武将としては所有欲をもたない人物である。城主に
なったのも、家臣に請われてのことである。戦いは常に正義を問
い、不義なるものを憎んだ。彼の祀る毘沙門天も正義を知らしめる 鬼神である。戦さは正々堂々と陣をはり、戦さが終わると、領地さ
え奪うことなく、撤退した。
上杉謙信と武田信玄と言えば、川中島の合戦である。1553年〜 1564年にわたり、5度の対決をしたが決着はつかなかった。1561
年、4度目には一騎打ちがあったと伝えられている。まるで平家武
者のようである。お互い生涯、他力と自力を競いあう仲であった。
「敵に塩を送る」この有名な言葉は謙信から生まれた。1567年、
信玄と対峙した今川は、助けを謙信に求め、甲斐への塩を止める
よう申し入れたが、謙信は「戦いは弓矢でするもの、米や塩ではな
い」と断った。宿敵、信玄を追い込むチャンスであったのに、と誰も
が思うが、これが謙信の義である。なんとも小気味よい。
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