徳川家康 1542〜1616
幼名、竹千代。松平家の子として三河・岡崎城に生まれる。6才か
ら織田家、8才から今川家で人質生活を送る。19才になると今川義
元の上洛に伴い、先鋒として従軍する。桶狭間の戦いで義元が倒れ
ると敗走し、岡崎城に入り、独立し主となる。武田信玄が上洛の際、
三方ヶ原の戦いで負け敗走した。上洛を果たせず死去した信玄の息
子、武田勝頼を長篠の戦いで、織田・徳川連合軍は討ち果たした。
織田の天下統一の矢先、本能寺の変で信長が自刃すると、堺に
いた家康は服部半蔵の手を借りて敗走する。空白になった甲斐・信
濃を平定し、天下の豊臣秀吉に対して小牧長久手の戦いで勝利す るが、関白従一位という官位の前に跪くことになり、関東に左遷され
た。秀吉の死後、関が原の戦いで石田三成と対決し、東軍を勝利に
導き、後に征夷大将軍・源氏長者となる。
主君に信を得ようと武功を謀ったり、欺瞞や画策、血生臭い戦場か
ら、家康は天下泰平を望んでいた。敗走しては力を蓄える、その繰り
返しであった。大坂方からは非難(秀吉の遺言を反古にした)も聞こ
えてくるが、そのしたたかさが、後の260年の安定の世を築き、江戸
文化の礎となる。
|