ルター 1483〜1546
ドイツの宗教改革の指導者である。キリスト教がカトリックとプロテ
スタント(抗議する)に袂を分かつ分岐点となった。当時、教皇庁は
無駄な浪費である免罪符(金品・財物を寄進した信者にだけ宗教上
の罪を許すという書付)を販売するようになり、これに抗議したのが
ルターであった。
それが「95ヶ条の論題」である(1517)。…ローマ教皇には罪を許
す権限はない、免罪符は無効だ…というものでした。教会に不満をも
つ農民や中産階級の市民、諸侯に支持され、ルター派ができあがっ
ていく。
一方国会では、ルター説禁止、ルター追放が決議された(1521)。
また、一部農民は武力蜂起し、農民戦争を引き起こした。しかし、ル
ターは諸侯とともに大弾圧によってこれをおさえこんだ(農民への裏
切りともとれる行動は改革運動の成功に、その主眼が向けられてい
たのでは)。なんともこの苦肉の策が、貴族や諸侯への改革運動の
広がりに拍車をかけた。
やがてルターは42歳で結婚し、子供にも恵まれた。おおむね、宗教
改革の波は行き渡り、ルター没後、ウェストファリア条約(1648)で信
仰の自由が宣言された。
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