西郷隆盛 1827〜1877
幼名、小吉・通称、吉之助。薩摩藩主・島津斉彬の庭方役。明治 維新・近代日本の礎を築く。徳之島・沖永良部島に2回に渡り流刑
される。禁門の変を経て、1866年に薩長同盟を結んだ(会津藩にと
っては裏切り行為)、これは尊皇攘夷から勤王倒幕に向かう分水嶺
である。1867年に王政復古をさせ、大政奉還後の戊辰戦争では、江
戸城にて勝海舟との会談をする。
西郷隆盛は無益な武力衝突を回避するために、会津藩に乗り込ん
だが、白虎隊の悲劇は予期できなかった。統治体制は幕府による徳
川体制から天皇中心の薩長体制に変わっただけだという批判もあっ
たが、廃藩置県・廃刀令・修験道をも否定した廃仏毀釈等、凄まじい
改革に追われた。すへてが近代化していく中で、西郷隆盛は武士の
心を忘れなかった。というより捨て切れなかった。征韓論の否決を機
に下野した。全国に不平士族が溢れたが、故郷も例外ではなかった。
西南戦争勃発(1877)、『雨は降る降る人馬も濡れる越すに越せな
い田原坂』。反政府軍に身を預けた西郷隆盛は、鹿児島の城山で自
決した。敬天愛人、日本を文明国へと動乱を鎮めるための生涯を閉
じた。明治22年、特赦により賊名を返上され、名誉を回復された。
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